通勤電車でふと辺りを見回すと目に入ってくるサラリーマン達。
自分含め、死んだ目をしている人が多い。
先日、来年度からサラリーマンになる大学生の後輩と飲んだ時、後輩から言われた。
「サラリーマンにいい印象がありません。
屍のような顔をしながら通勤電車に乗り、仕事の愚痴を言っていたり、、
自分はそんなサラリーマンには絶対なりたくないと思ってるんですけど、どうせなっちゃうんですよね、、、世知難いです。」
この話を聞いて、帰りの電車で少し考えてみたのだが、
「死んだ魚の目」をして通勤することは、いけないことなのだろうか。
社会人の立場から言わせて頂くと、いけないことではないと思う。
モラトリウム真っ盛り、人生の絶頂にいる大学生から見たらたしかに嫌な光景かもしれないが。
おそらく、大学生は通勤電車で「死んだ魚の目」をしているサラリーマンを見て、そのサラリーマンが1日中ずっと「死んだ魚の目」をしていると思っているのだろう。
実際はそんなことはないのである。
自分のデスクについてスイッチを入れる。
社会人になれば、オンとオフを切り替える必要が出てくる。オンモードにして仕事ができる態勢に持っていくのは、就業できる状態になる直前、どんなに早くても会社の敷地に入る前くらいで十分だ。
私は最寄駅に到着してWANIMAの「やってみよう」を聞き終わるまでスイッチが入らない。ちょうどエレベーターで自分のフロアに上がっている最中くらいでスイッチが入る。
そもそも、勤め人というのは、体力的にも精神的にも非常に疲れるのだ。膨大なエネルギーを消費する。だからこそ、オンとオフを切り替えて、オフモードの際はできるだけ電源消費を抑える。それこそ、通勤時なんかは死んだ魚の目でいい。
通勤というのは、基本的に一人である。一人でニコニコしている人がいたら、あなたは高確率で「やばい人だ」と思うだろう。電源OFFで死んだ眼をしているのはごく自然なことなのである。
死んだ目はサラリーマンの充電である
「満員電車で死んだ目をしたサラリーマン」とはよく使われる言葉だが、ひどい勘違いである。なかには数%程度、本当に死にそうなサラリーマンも混じっているかもしれないがそういうのは例外で、ほとんどのサラリーマンは死んだ目になってチャージを行っているのである。
サラリーマンの境遇は忙しい。忙しいと書いて「充実している」と読み替えても良い。誠心誠意生きているサラリーマン達は、仕事に、遊びに、家庭に、とにかくやることが多いので寸毫のエネルギーも無駄にするわけにいかないのである。
社会人になることに悲観的な大学生へ
確かに就職すれば、時間を失い、秩序に縛られ、今までのように何も考えず自分の好きなことだけをする、ということは出来ない。
しかし、それと同時に得るものだって大きい。安定的な収入はもちろんだし、企業にはたくさんの人が働いていて、凄い人もたくさんいる。そういう人たちから刺激を受けて、自らが望めば今までにない成長が出来るだろう。
それと同時に、今までの自分がどれほど甘かったのか、痛いほどわかると思う。冒頭の台詞を数年後に思い返したら、恥ずかしくて顔から火が出るんじゃないか。
モラトリアムはいつまでも続かない。
来年に卒業を控えた学生は、社会人になるということ悲観するだけでなく、をもう一度深く考えてみては如何だろうか。